猫の死

僕の姉が拾ってきた猫が死んだ。享年三才。

死因は何だろう?衰弱死だろうか。状況を整理してみる。

・猫は前代未聞の多数のノミに喰われていた。

・唐突な食欲減退、その後一向に回復せず。

・ノミの吸血による、身体中の小さな飛沫の血塊。

僕が観察したところ、この三点が異常な所見。

 

原因①

前代未聞のという形容詞からも読み取れる通り、

このノミによる衰弱というのは全くの予測外だった。

それにより、症状の特定が遅れ、打開策を打てないでいた。

原因②

猫はこの猛暑のために、避暑地を求め普段行かない外近くの土付近に寝そべっていた。

これにより、異常な量のノミによる吸血を許したと思われる。

原因③

居間にはエアコンがあるが、猫の忌避対象である幼児が占領していたため、

居間に滞在出来ず。これにより、原因②の普段行かない場所へ行ったと思われる。

 

素人知識から考えるに、死因は吸血虫からの感染症だろうか?

それにより、内蔵異常→食事不能

吸血だけで、食事不能にまで陥るとは考えづらい。

そうなると、何らかの感染症を併発し、それによって内臓疾患。

したがって、食事不能。ではないかと思う。

 

以上で考察を終える。

 

猫の思い出

元々捨て猫で、僕は飼うのは反対だった。

何故ならば、僕の家族は誰一人、動物の世話に責任を持てないからだ。

それは前例があり、はっきりしていた。

 

一例を上げれば、糞尿の世話、衛生環境の整備、餌の管理など

誰も気にも留めず、餌場にカビが生えたこともある。

そんな劣悪な飼育環境も手伝い、

猫の口腔環境の悪化も見抜けず、以前捨て猫を死なせてしまった過去がある。

 

そして、衰弱した猫の世話は僕と母を除いて、誰も関与しなかった。

これは命の軽視に他ならない。痛烈に自省し改めて然るべきである。その猫も姉が拾ってきたのだ。

 

であるから、反対の立場を崩さなかったが、

結局の所、僕の発言権は最弱で押し切られるように飼育することになった。

 

猫の幼少期の世話は僕が行った。

飼うと決まった以上、捨て置けないと思ったからだ。

だが、今となれば安請け合いでしかなかった。

 

成猫となり、僕の部屋を出し、猫の世話をしない家族へと受け渡した。

すると、猫は偏った体型に変わった。

二匹いたが、一匹は太り、他方は痩せこけた。

これにより、無思慮な飼育が明らかだった。

僕には予見できたところ、事前に忠告したとおりになった。

だが、僕はその後口を出すことはなかった。

 

快くない結果に結びつくであろうことは、容易に想像できた。

情も芽生えている愛猫に対し、僕が飼育権を取り戻すことも出来ただろう。

 

だが、しなかった。責任ある飼育が出来ないという自覚があったからだ。

安請け合いし、猫たちの飼育、命に誠実ではいられないと判断した。

彼らの命を軽んじることは出来ない。

 

僕を親と思って懐いていたように思えた。

いやそうに違いない。僕の側にいつも寄ってきては、鳴く姿が今も眼前に浮かぶようだ。そんな愛猫も死んでしまった。

痛ましい、愚かだ。猫に対して恥ずかしくて顔向け出来ない。

僕は無責任な飼育を予見出来たにも関わらず、防げなかった。

 

結局の所、終始、自分自身の生活に昏倒していたのだ。

だからこそ、成猫以来関わってこなかった。

 

無責任、安易な飼育はこうした痛ましい結果を招く。

元を正せば、捨て猫という境遇自体がそれを体現していると言える。

自分が関わりたくなかったが、結局見捨てられない。安請け合いをしたんだろう僕は。

 

僕はこんな自分の愚かしさを教訓として、惨状を繰り返さないために賢くなりたいと思う、

講師のテストを終えて

出題範囲は高校コミュ1、2英語、数学1、A、現代国語

偏差値は50付近の難易度

 

久々に日記を書く。文章の出力機会が乏しく文章構成力の低下が気がかりになっていた。

少し前はツイッターにて、ニュースを読んで一言二言文章を書きこむ習慣があった。

だが、最近はニュースというニュースに目を通す機会は無に等しい。

 

習慣化した、テクノロジー、雑多な科学記事への関心も薄れてしまった。

以前、割いていた好奇心や知的労力は冒頭に述べた勉学に費やしている。

それによって、使いつくされているのだろう。

 

好きだった、ゲームや絵にも関心を持てないでいる自分が、今まで情熱を持って築き上げてきた自分という核を見失ってしまっているような、感覚を覚える。

 

それは今まで頼りにしてきた、これさえあれば僕は僕らしくあれるという、便利な指針を失ってしまったようで、不安な気持ちになる。

自分という核に霧がかかったような、モザイク模様が画像を覆っているような、不鮮明な視界でいる。

 

とりとめもなく、今の何処にもたどり着けていない、道の半ばにて思う。

雑然とした気持ちを書いてみたところで、僕の情熱に霧をかけているものへと軸を移す。

国語は余裕だった。数学は最悪だ。英語は回答速度が遅い。

長文読解は難解というほどでもなかった。

数学は根本的に理解度が低い。三角比、辺から角度、図形の性質を読み解く力が欠如している。

定理が抜けているのだ。底角が等しければ、二等辺三角形

二辺が平行ならば、同位角、錯覚は等しい。

比率から、図形の性質を読み解く力が特に弱い。

 

いままでの勉強法では定着率が著しく悪い。

手法を変える。講義動画を視聴後、類題を解くように変えてみる。

英語は自力が付いている。

このまま、フォレスト、問題集、長文読解を進めていく。

 

今は今で楽しいが、たまに絵を描いていないことが、たまらなく寂しく感じる。

そんなに恋しいものに出会えたことは幸福なんだろうな。

ポケモンGOの規制に思うこと

「ポケモンGO」 運転中は操作できないよう変更 | NHKニュース

一定の速度で操作できなくなった。

この一件を元にして全プレイヤーは今までできていたことが出来なくなる。

制限を設けることによって、遊びは狭まる。

ドローンを使ってポケモンGOをプレイする人とか。それによって思いもつかない遊び、発見をもたらす機会は減った。

 

そもそも「交通事故」の大元の原因とは何だろうか?

【車】を運転した【人】が【不注意】によって【事故】を起こした。

 

この中の単語の内、不注意という幹から枝分かれした「要因」

スマートフォンのアプリ、ポケモンGOをプレイしていたため、不注意になり、

その結果事故を起こした。

 

そして、亡くなった家族の人が規制を要求。

ポケモンGOを運転中にプレイできないようにと。

 

僕はここで納得がいかない。

果たして本当にそれで交通事故は減るのか?

理由はスマートフォンには他にいくらでもゲームアプリは存在している。

というか、不注意になる行為なんて多種多様であり、無くすことは不可能。

例えば、電話しながら、よそ見しながら、寝不足で、他にいくらでもあるだろう。

ポケモンGOをプレイしながら、なんていう文脈は、不注意という単語に分類できる。

 

今回の行為の源は不注意だからだ。ポケモンGOが無かったら、他の不注意に当たる行為に代替されるのでは?

人→不注意→スマートフォンポケモンGO

ポケモンGOが変わるだけではないか?

 

だから、人の不注意から枝分かれした要因を規制するなんて、筋違いなんじゃないのか?効果があるのか疑わしい。

枝を切っても、幹がそのままなら、いくらでも事故という果実は実ると思う。

交通事故を減らしたいなら、他の大元である、車、人、行為を変えるべきなんじゃないのか?

例えば自動運転。

 

この一連の流れって、自分の家族が死ななければ起きなかったはず。

交通事故を減らしたいから、ポケモンGOを規制して欲しい。そう言う動機ではないと考える。

 

目的がポケモンGOによって起こる交通事故を減らすこと。

だが、そもそも不注意によって起こる交通事故なんて減らせるの?

 

つまり、動機は交通事故を減らすことではない。秩序を作ることではない。

家族が死んだ。これから想起されるものとは?

それが動悸だ。感情?

 

交通事故は一年に何件も起きている。道を歩いていれば、車に引かれて死んでも不思議ではない。

僕が言いたいのは、責任の所在、それを求める相手が間違っているのではないか?

ということ。で、これで今後、位置ゲーを作る会社が出てくる時の前例を作った。

 

これをモデルに世は動いていくと思うと、筋が合わずおかしいと思った。

感情によって動いているように思えた。