二次試験で不合格を受けて

敗因を考える。

一次試験点数+二次試験点数=二次試験合格

一次試験合格者数79人。

二次試験合格者数49人。

つまり、30人不合格だった。

という式だとすると、私は二次試験(面接)の点数が低かった。またはマイナスに働いた。

学力を有していても、適正が低いという印象を与えたようだ。

私は対人コミュニケーションに自信を持っている。

そして、面接対策として参考書二冊、一問一答を記述、独唱で練習を重ねた。

加えて、学習塾にて講師と2日間、各40分ほど面接練習を行った。

自信があったし、手応えもあった。正直、明確に敗因が特定出来ない。

だが結果から、私は二次試験且つ合算で劣った。

帰納法

Aさんが私に相談事をしてきた。

Bさんが私を遊びに誘ってきた。

仕事においても同様だ。

故に私は対人コミュニケーションが円滑に行える為、自信がある。

演繹法

連絡先、プライベートな相談事、個人情報を話されるのは、

信頼されている証である。

故に私はコミュニケーションに自信がある。

 

私は面接において、コミュニケーション上マイナス要因を発生させた自覚はない。

滞りなく行えた。

失敗点は癖で住所を省略して書いてしまったことくらいしか思い当たらない。

適性についても、看護助手を二年やっている点から、低いというのも成り立たない。

 

定員から落とさざるを得なかった。故に成績順に落としたのではないだろうか?

悪く考えても、年齢と経歴くらいだ。

学習塾曰く、学力と適正を有していればあまり関係ないということだ。

 

考察しても学校の求める、資格取得、就労を達する人材に適わない人材と映ったとは考え難い。

一体何が敗因だったのだろう。

 

まとめると

・面接上、適正が低いと判断した。

・定員のため、合算した点数から該当順位以下を落とさざるを得なかった。

 

私は勝つために学力を伸ばすこと、他の学校を受けることも視野に入れるつもりだ。

無論、面接練習も計画を組む。

今回の結果を受け、非常に残念だし悔しい。

また不合格か。絵ではアニメーター、アシスタント、漫画家。

学問でも不合格を重ねる。恥を重ねる人生だ。恥ずかしい。人と接触すれば、私の事情は劣って映る。

そうして、人から遠ざけられることが恐ろしく、悲しい。

しかし、対面的な事情で人を区分けする人を私は好ましく思わない。

というか、自分を愛せずして人を愛することは出来ないだろう。

大切にもしない。なら良いじゃないか。こんな自分だが大切にする。

よって恥など、どうでも良いことだ。私の失敗を笑い、排他する行為に怯える必要もない。

目的は愛を見つけ、無ければ作り、両親を支えられるほど余力を持った人間になることだ。

現実で無ければ、芸術で表せば良い。

 

もともと、今の学力に満足などしていなかった。より学ぶ機会を与えられたと前向きに捉えたい。

障害者の父に答えを出せるとすれば

それは私自身が変わることだろう。

今では答えを出せない。ならば、答えを得るべく先人に学ぶことだ。

 

歴史や学問が確かな標を示してくれる。

私の思い込みや、ちっぽけな経験則などより、遥かに頼りになる。

それに立証性がある。

 

格好良い漫画の主人公チックなことを言えば、私が父の病気を直してやるくらいの気概あっても良いのかもしてない。

 

医師には学力と国立だが500万円もあればなれる。

私は十代を諦めて、イジケて過ごしてきた。勉強も人も嫌だったし、殻に閉じこもって過ごしていた。

それで得たものはアニメやゲーム、映画、本、創作物への昏倒だった。

 

その膨大に費やした時間から、漫画創作、絵画へと繋がり、

理想を作り上げていった。人生で生きる希望が見いだせたのはその頃だ。

 

父が統合失調だから。勉強が苦手だから。

人と上手く交流できないから。そういったものに押しつぶされて、

私は人生を諦めていた。

 

そういった状態で居場所を見つけることは出来ず、自分を追い詰めることになった。

それは結果的に家族に負担を掛けることになり、社会においても同じだ。

 

しかし、私が感動し、興奮し、美しいと魅力を感じた人、理念、行動はそういったものではない。

なにか、困難があっても笑ってその中から楽しみを見つける思考の転換。ライフ・イズ・ビューティフルショーシャンクの空に

絶望的な状況にあっても、理不尽に人権を蹂躙されても、希望を見出す姿。それを手助けする人々。ミシシッピバーニング、告発

殻に閉じこもるほど強い劣等感があっても、自分を卑下し潰すことをしない姿。それを支え。肯定する人々。マスク1990、罪と罰

私は劣等感、嫉妬、何かへの憎しみから自分の心を定め、形つくることの醜さ、不本意さを知った。

 

そして、希望を抱き、知恵をもって人生を歩む豊かさ、心地よさを知った。

私はそういったことを実行できる人になりたいと思う。

創作物で描く気持ちは未だ、諦めてはいない。

だが、しばらくは学問に学び、成熟させたいと思う。

 

世界の何処かで、家族の中の誰かが精神病で、自分が押しつぶされてしまう苦しみを抱えている人がいるとすれば、それは十代の頃の私のような人だと思うのだ。

そういった人の参考や慰めになれば幸いであると思う。

 

 

人生の転機と障害者の父

私は今年人生の転機を迎える。

学生となる。学ぶ動機はいくつかあるが、最も大きいのは私の性質に合っていると判断したためだ。

大きくは教養や知性に非常に関心がある。

そういった人が集まる場所で人生を過ごしたい。

人の笑顔が見たい。人と協力して目的に向けて励みたい。

 

私の父は障害者等級2級であり、社会適応が出来ない。

病名は統合失調症。症状は他人とのコミュニケーションの難航。

それは家族も同様である。的確に意思を伝達出来ないし、受け取れない。

感情の制御能力の低さ。ちょっとしたことで、感情が高ぶり、子供のように癇癪を起こす。

したがって社会生活に支障が生まれるのも必然である。

 

よって無職で家にこもる毎日を私が中学生の頃から過ごしている。

一日。ルーチンワークをこなし向上心、積極性、外向性、協調性は無い。

家事をこなし、TVを見て一日寝転がっている。

 

病気を改善させるべく、本に学び、先人の知恵や経験を吸収し。変化を望むこともない。

担当医もそのようだ。なんら改善は見られない。

私自身、父の治療、観察には全く関与していない。

 

我が家は経済的にも平均以下の状況であり。何か事故や教育による出費等

そういった非日常の出費に耐えられない状況である。

 

しかし、それに備え資産を蓄えるべく、何らかの工夫、生活の向上、それにも何ら取り組んでいない。

 

彼は人生を諦観している印象を受ける。

全く、絶望的な状況とは思えない。本など千円もあれば買える。

無職ゆえ。時間はいくらでもある。障害があっても行動不能というわけではない。

工夫の余地は明らかにある。

 

では何故。行動に移さないのか?

それは彼の心の原動力が不足しているからだ。

彼を突き動かす力がない。気力がないのだ。理屈ではいくらでも、彼の人生を豊かにする方法はある。

だが、実行には移さない。

 

したがって彼は人生を諦観している。厭世観、諦め、そういった陰鬱な考えに囚われている。

 

私はそんな父を見て。同じように諦めの気持ちがある。

今までずっとそんな父を見てきた。彼には助けが必要なのかもしれない。

その手を貸せるのは、母と私しかいない。

 

しかし、私は自分の人生を優先させてきた。

今もその気持は変わらない。だが、少しずつでも私自身が彼への接し方を変え、彼を買えるキッカケ作りをすることこそ、

先に挙げた、父の人生を豊かにすることなのではないだろうか?

 

私は人生を諦め、家にこもるしかない父を見るのが痛ましく思う。

今の状態が父の本望とも思えない。致し方なく、身動きの取れない、暗闇に明かり無しで立ちすくむ状態なのではないだろうか。

 

どういった心境なのか。

私は父にどう接したら良いのか、答えを出せない。