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助けるという言葉、感情主導が絡みやすい

gigazine.net

助けるって言葉は驕りを感じる。適切に力を貸して、結果良しの場合、勝手に助かるんだろう。結果論が先に来てる。

 

助けるって過程を考えて発言する習慣がない。そんな評価されてる物語も少ない気がする。分かりやすく、辛そうだから、共感を覚えるから助ける。これは感情主導だろう。

けど、多くの場合人はそれを容認してるんじゃないのか。

 

昔、俺、私もコレコレこういう事情があってな・・・

だから君の気持ちはよく分かるんだよ。といって手を貸すパターン。

数多くの物語で存在するシーン。僕は好きじゃないけど、ヒットしてる物語でも往々にして使われてると思う。

 

これは多くの人が、容認してるってことじゃないの。

で・・・理屈で助けるとはこうだと、真実の善意とは何かと、定義した所で多くの人がソレを共有できる環境があるのか。

ない場合、現状の感情主導の~助けが今後も続いてく。

そもそも、これがなくなった時代があるとも思えない。

聖書を超える出版数の本でも出ないかぎり、変わらないんじゃないかな。

善意とは何か。悪意ではないもの。自分ではない他の誰かに発揮されるもの。

どういう効果があるものか。相手が笑顔であるか。心身共に乱れてはいないか。

正の状態にあるか。

助けるとは何か。助かった事実を確認して、相互理解が出来た上で助けることが出来た。

と初めて確信が持てる。

助けるという言葉を使う時は事後であって、事前ではない。

助けたい。力を貸したい。のが適切だろう。ん・・・?

自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。

ココでややこしいのが、助けた事実によって満足感をえたいがために、助けを行っているか。

又、信念によってなのか。動機が何なのか不明な所だと思う。

でも、助かった事実さえ用意できれば、そんなことは問題ではないのかもしれない。

 

僕は物語にこの安易な助け要素が絡むと、その物語を見る気をなくす。

その世界観、キャラクター、テーマだからこそ起きる、情動が見たいから。

何々だから助ける!そんなの当然だろ?といったものは見ない。