読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

絶望から希望へ

人間にとって「宗教」とは何か? 絶望からの救いを求め続けたある偉大な哲学者の思索と苦闘 キェルケゴールはこう考えた | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]


そもそもは埋葬、死を意識した所が起源じゃないかと思ってます。
ザ・ウォーカー』という映画では、文明の失われた世界が舞台です。
聖書を巡って争いが起きる映画だったと思います。
この映画はつまり、民を導くには聖書が手っ取り早い。という結論だと思いました。
自ら考えることを放棄すること、でもある狂信者を生む。

これらが多い現象から、思考停止する方が楽だと考える状況に陥るのは何故か、又それはどういった状況か。
救いのない状況じゃないですか?貧困、飢餓、暴力、孤独。
キリスト教はそういった貧しい状況の人向けに作られたそうですよ。
正しいことだけが人を救うわけではない。とUCガンダムでありました。

今でも有名人が教祖っぽい立ち位置な気もします。啓蒙とか。
教養者より、容姿が優先されているようですが。
人は知ではなく、性を取るのか。昔からそうであるなら、進歩無いですね。
人智を超えた存在、ナニモノかがあり、そこに救いがある。
そうした考えは面白いし、僕もそう思ってます。つまり宇宙です。
思考停止なんて勿体無い。考えることは楽しいのに。自分で作ってしまえば良い。神でも世界でも想像して。それが理想になるんじゃないですか。
地平線の向こうには何があるかと想像し続けたいですから。

 

今記事を読み終わった。

キェルケーゴールは理性によって絶望を抜け出せないという結論。

 

僕が絶望から抜けだした筋道を書く。

諸々あって・・・僕は19歳で絶望した。

時が経った。冬になって、中学の友人が会いに来た。

中卒後、5年ぶりの再開。彼は言った。一緒に漫画を書こう。

 

それから、毎日彼の家へ通い夜を明かして語り合った。

世の不条理。理不尽。富めるものはより富み、貧しきものはより貧しく。

怒りを、悲しみを共有した。

 

彼は天井まで続く、膨大な本が並べてある本棚の前で、夢を語る。

絵描きになりたい。こんな生活は嫌だと。我慢ならない。

彼は美麗なイラストの数々を僕に見せる。

どうしても入賞出来ないんだ。何が足らないんだろう。

絵なんて落書きしか書いたことのない僕は、イラストレーターの自伝的な記事を勧めるしか出来なかった。

 

僕は何にもなれないと思っていた。生きていくことも出来ないと思っていた。

それで誰かに迷惑をかけるなんて、耐えられなかった。

蔑んだ目に怯えて生きるなんて、まっぴらごめんだ。

 

けれど、彼と毎日アニメを見たり、漫画の構成を練ったり、面白かった作品の話をする内に、僕は楽しくなった。

 

物語を作るために、小説を書き始めた。

参考書も数冊買った。文体を模写したり、言葉の意味を探った。

絵の模写を始めた。

 

2年が過ぎた。友人とは連絡を取っていない。

描こうと言った漫画は4P。途中で終わってしまった。

僕は模写が楽しくて、時々やっていた。

小説を書くのも、勉強も止めた。

 

人付き合いもなくて、一日で人と接する機会が無に等しかった。

ある日、なんとなく寂しくなって、掲示板に友達募集をしてみた。

 

そこで、同い年だと言う人と知り合った。

メールを繰り返し、スカイプでチャットした。

趣味も合ったし、会話は弾んで楽しかった。

 

仲良くなって、僕が絵の模写をしていることを彼に話した。

すると見せて欲しいと言われた。

早速見せた。かれはとっても上手だね。ファンになったよ。

と言ってくれた。今まで感じたことのない、感動を覚えた。

 

誰かに褒めてもらった。その事実が、嬉しかった。

彼は、こうも言った。自分の好きなものの中に自分の良い所があるんだよ。

 

僕はそこで、雷に打たれたような気持ちになった。

僕の良い所って何なんだろう。分からなかった。

 

でも好きなモノはたくさんあった。

そして、どれもアニメやゲーム、漫画、映画、小説。

現実にはない、空想的なものだと気付いた。

 

2012年4月。僕は絵描きになろうと決意した。

今でも気持ちは変わっていない。何故かは、正直わからないけど。

 

絵を描き始めてから、僕は明日が来るのが楽しみになった。

明日はどんな絵を描こう。どんな絵が描けるようになってるだろう。

そんな想像で一杯になった。そうした日が一年、二年と続いて、僕は思った。

 

絵は希望だ。プロになろうとか、金を稼げるようになるためにっていう意味じゃない。

明日が楽しくなる。未来の僕が描く絵を想像すると、胸がワクワクする。

それって希望だと思った。