ポケモンGOの規制に思うこと

「ポケモンGO」 運転中は操作できないよう変更 | NHKニュース

一定の速度で操作できなくなった。

この一件を元にして全プレイヤーは今までできていたことが出来なくなる。

制限を設けることによって、遊びは狭まる。

ドローンを使ってポケモンGOをプレイする人とか。それによって思いもつかない遊び、発見をもたらす機会は減った。

 

そもそも「交通事故」の大元の原因とは何だろうか?

【車】を運転した【人】が【不注意】によって【事故】を起こした。

 

この中の単語の内、不注意という幹から枝分かれした「要因」

スマートフォンのアプリ、ポケモンGOをプレイしていたため、不注意になり、

その結果事故を起こした。

 

そして、亡くなった家族の人が規制を要求。

ポケモンGOを運転中にプレイできないようにと。

 

僕はここで納得がいかない。

果たして本当にそれで交通事故は減るのか?

理由はスマートフォンには他にいくらでもゲームアプリは存在している。

というか、不注意になる行為なんて多種多様であり、無くすことは不可能。

例えば、電話しながら、よそ見しながら、寝不足で、他にいくらでもあるだろう。

ポケモンGOをプレイしながら、なんていう文脈は、不注意という単語に分類できる。

 

今回の行為の源は不注意だからだ。ポケモンGOが無かったら、他の不注意に当たる行為に代替されるのでは?

人→不注意→スマートフォンポケモンGO

ポケモンGOが変わるだけではないか?

 

だから、人の不注意から枝分かれした要因を規制するなんて、筋違いなんじゃないのか?効果があるのか疑わしい。

枝を切っても、幹がそのままなら、いくらでも事故という果実は実ると思う。

交通事故を減らしたいなら、他の大元である、車、人、行為を変えるべきなんじゃないのか?

例えば自動運転。

 

この一連の流れって、自分の家族が死ななければ起きなかったはず。

交通事故を減らしたいから、ポケモンGOを規制して欲しい。そう言う動機ではないと考える。

 

目的がポケモンGOによって起こる交通事故を減らすこと。

だが、そもそも不注意によって起こる交通事故なんて減らせるの?

 

つまり、動機は交通事故を減らすことではない。秩序を作ることではない。

家族が死んだ。これから想起されるものとは?

それが動悸だ。感情?

 

交通事故は一年に何件も起きている。道を歩いていれば、車に引かれて死んでも不思議ではない。

僕が言いたいのは、責任の所在、それを求める相手が間違っているのではないか?

ということ。で、これで今後、位置ゲーを作る会社が出てくる時の前例を作った。

 

これをモデルに世は動いていくと思うと、筋が合わずおかしいと思った。

感情によって動いているように思えた。