人生の転機と障害者の父

私は今年人生の転機を迎える。

学生となる。学ぶ動機はいくつかあるが、最も大きいのは私の性質に合っていると判断したためだ。

大きくは教養や知性に非常に関心がある。

そういった人が集まる場所で人生を過ごしたい。

人の笑顔が見たい。人と協力して目的に向けて励みたい。

 

私の父は障害者等級2級であり、社会適応が出来ない。

病名は統合失調症。症状は他人とのコミュニケーションの難航。

それは家族も同様である。的確に意思を伝達出来ないし、受け取れない。

感情の制御能力の低さ。ちょっとしたことで、感情が高ぶり、子供のように癇癪を起こす。

したがって社会生活に支障が生まれるのも必然である。

 

よって無職で家にこもる毎日を私が中学生の頃から過ごしている。

一日。ルーチンワークをこなし向上心、積極性、外向性、協調性は無い。

家事をこなし、TVを見て一日寝転がっている。

 

病気を改善させるべく、本に学び、先人の知恵や経験を吸収し。変化を望むこともない。

担当医もそのようだ。なんら改善は見られない。

私自身、父の治療、観察には全く関与していない。

 

我が家は経済的にも平均以下の状況であり。何か事故や教育による出費等

そういった非日常の出費に耐えられない状況である。

 

しかし、それに備え資産を蓄えるべく、何らかの工夫、生活の向上、それにも何ら取り組んでいない。

 

彼は人生を諦観している印象を受ける。

全く、絶望的な状況とは思えない。本など千円もあれば買える。

無職ゆえ。時間はいくらでもある。障害があっても行動不能というわけではない。

工夫の余地は明らかにある。

 

では何故。行動に移さないのか?

それは彼の心の原動力が不足しているからだ。

彼を突き動かす力がない。気力がないのだ。理屈ではいくらでも、彼の人生を豊かにする方法はある。

だが、実行には移さない。

 

したがって彼は人生を諦観している。厭世観、諦め、そういった陰鬱な考えに囚われている。

 

私はそんな父を見て。同じように諦めの気持ちがある。

今までずっとそんな父を見てきた。彼には助けが必要なのかもしれない。

その手を貸せるのは、母と私しかいない。

 

しかし、私は自分の人生を優先させてきた。

今もその気持は変わらない。だが、少しずつでも私自身が彼への接し方を変え、彼を買えるキッカケ作りをすることこそ、

先に挙げた、父の人生を豊かにすることなのではないだろうか?

 

私は人生を諦め、家にこもるしかない父を見るのが痛ましく思う。

今の状態が父の本望とも思えない。致し方なく、身動きの取れない、暗闇に明かり無しで立ちすくむ状態なのではないだろうか。

 

どういった心境なのか。

私は父にどう接したら良いのか、答えを出せない。